STORY





 フィーネは孤児だった。
 古代を研究する考古学者の養父の影響を幼い頃から強く受けたフィーネは、自らも古代竜の伝説に興味をもつ好奇心旺盛な少女に育つ。
 フィーネ一家が住む村の近くには『生命の時計塔』と呼ばれる遺跡があった。国王に特別に許された研究者しか立ち入ることのできないその遺跡は、言い伝えによると創世の時代に建てられたという。


 ある日、遺跡の発掘に向かったフィーネの養父が予定を過ぎても帰らなかった。夢中になるとよくあること、きっと大丈夫だと思い直しても、この時ばかりは落ち着くことができなかった。嫌な予感に苛まれて眠れないフィーネは、ひとりで遺跡への道のりを辿る。ひたすら歩き続け、フィーネはとうとう遺跡の入り口まで足を運んだ。
 遺跡は国に管理されており、許可なく扉を開くことはできなくなっている。ゆえにフィーネが遺跡の内部へ入ることははずだったが、フィーネが少し手をかけただけで扉は不思議と彼女を誘うように開いていった。


 躊躇いながらも養父を探すために初めて足を踏み入れた遺跡の内部は、外側からは想像のできないほど複雑な造りだった。文献でしか読んだことのない失われた高度な文明を所々に感じる。珍しさに気を取られて目的を忘れそうになった時、フィーネは通路の先で崩落した壁を発見した。
 崩れた壁の下敷きになっていたのは間違いなく養父の体。無事でないことは見た目にも明らかで、フィーネは呆然と立ち尽くすしかなかった。「いやだ、どうして」と否定と疑問を繰り返すしかない思考を遮ったのは、突如輝いた螺旋状の光だった。
 フィーネの前に現れたのは、傷だらけで弱り果てた小さな竜。彼は姿を少年へと変え、自らをラズと名乗る。そして、驚いて固まっているフィーネに声をかけた。

「——この『生命の時計塔』の時計には、時を遡る『刻渡り』の力がある。もし君が願うなら、過去へ戻ることで歴史を変えて、その人間を助けられるけど」

「どうする?」と尋ねられるより早く、フィーネは二つ返事をした。夢か幻か、誘いが真実か嘘か疑い悩む余地はなく、たとえ彼が悪魔だったとしても構わなかった。ただ養父を助けたいという一心で、フィーネはラズに従うことにした。
 奥の床に展開された淡く光る魔法陣の上に立ち、石盤に手を翳しながら教えられた呪文を唱えると、足元の床が抜け落ち全てが崩れていくような感覚に攫われた。終わってみるとほんの一瞬のことで、白昼夢から覚めただけのようでもあった。
 急いで養父が倒れていた部屋に戻ると、景色は一変していた。養父の姿ばかりか床に崩れていた瓦礫も消えている。代わりに空洞だった場所に描かれた鮮やかな壁画に目を奪われた。
 ラズ曰く、昨日に『刻渡り』をしたのだという。後はこの部屋の壁が崩落する前に、扉が開かないようにしておけばいいのだと。歴史を変えるというのはそんな簡単な話なのかとフィーネは首を傾げるが、ラズは真顔で「扉が開かなければ誰も潰されない」と、壁画の部屋の扉を内側から封印した。
 ラズと共に元の時間に戻り家に帰ると、元気そうな養父が迎えてくれた。ほっとしたのも束の間、『フィーネは(養父が家に無事に帰ってきているのに)黙って家を空けていた』ことになっており、フィーネは養父にこっぴどく怒られる。
「歴史の修正に犠牲はつきものさ。今回はこの程度で幸運と思うべきだ」と、フィーネの部屋に転がり込んだラズは涼しい顔をしていた。
 こうして、過去に戻って未来を変えたことを、フィーネは身をもって体験する。



 ラズが竜のいる時代から『刻渡り』をしてやって来たという話を聞き、フィーネは塔の中で見た壁画を思い出した。描かれていたのは『刻の神が与え、永く悪竜が支配していた時計を、奪還した聖女あり。彼女は神に代わり悪竜を焼き払った』という歴史そのもの。ラズの時代では、竜と人の争いが激化して竜は確実に滅びに向かっている。時計を護る竜がいなくなれば、フィーネが生きるこの時代で完全に壊れてしまうという。
 遺跡——時計塔の時計は大昔から既に壊れている思っていたフィーネにラズは「時計はゆっくりでも動いてはいる」と説明した。そうでなければ、とっくにこの世界も止まっていなければおかしいし、自分もこの時代へは来られなかったはずだと。
 やがてフィーネの手当と看病により傷が癒え元気になったラズは、フィーネには竜を癒やす不思議な力があると言い出し、その力を借りたいと頼む。一緒に過去へ刻渡りをして、傷ついた竜を癒やしてほしいと。
 今度はさすがに二つ返事というわけにはいかなかったが、フィーネは考えた末に承諾する。「養父を助けてくれたラズに恩を返すため」というのは半ば自分への言い訳だった。フィーネは突然飛び込んできた冒険のチャンスを見送ることも、自身の竜への興味も捨てることができなかった。それに、今日この時間に戻ってくれば、養父は自分が旅に出ていたことすら気付かないに違いない。そんな楽観的な性格も手伝い、フィーネはラズと共に過去へと『刻渡り』をすることとなった。



 目の前に広がる本物の竜の国にフィーネは感動する。まるで幼い頃から繰り返し読んだおとぎ話の世界へ入り込んだよう。夢心地でありながら不思議と懐かしい感覚がする。
 日が暮れるまでラズに竜の国を案内してもらい、最後に訪れたのが辺鄙な森の湖だった。辺りには竜の石像がいくつか並んでいる。余りにもよくできた造形だったので、フィーネはラズに何気なく誰が作ったのか尋ねると、ラズは「これは石像じゃなくて竜の死骸だ」とさらりと答えた。

「願ってはいけないことを願ったり、掟を破った竜は魂を閉じ込められたまま石になる。それが竜の定め。いくつかある『竜の死』のひとつ」

 ラズからそう説明されたフィーネは少なからず衝撃を受け、竜が願ってはいけないことが何なのか問いかけようとした時。フィーネは、いつの間にか竜たちに取り囲まれていた。
「よく『魔女サンドラ』を連れ帰った。ラズウェルズ・オクティア・ローディ・クローカよ。これでお前の役目は終わりだ」
『魔女サンドラ』と呼ばれたフィーネの身柄は竜の長に渡される。訳も分からずに捕らえられたフィーネはラズに助けを求めようとするが、彼は一度も振り返らなかった。




 フィーネは閉じ込められた檻の中で夢を見ていた。
 遙か昔。竜の支配する場所で目覚めた少女は、名をサンドラといった。世界で初めて竜と人との混血として生まれたサンドラは、竜の姿を維持しつづけるのが難しい。ゆえに汚れた血だと竜たちからは迫害され、谷底の集落で他の人間たちと共に奴隷のような生活を送っていた。
 辛酸を嘗めながらも何とか生き長らえたサンドラは、ある時、自分の中に竜の力があることを知る。その力で憎き竜を滅ぼし人の世界を作る決意をしたサンドラは、旗を揚げた。竜に虐げられてきた人間はサンドラの元に集い、サンドラを聖女と崇め、闘いの後に悪竜の手から地上を奪い返して国を作った。サンドラこそ、歴史の壁画に刻まれていた『神に代わり悪竜を焼き払った』聖女だった。


 目が覚めたフィーネは、時計塔に囚われていた。なぜ自分が竜に『魔女サンドラ』などと呼ばれたのかは分からない。人違いだと訴えても話を聞いてくれる竜はいなかった。やがて、時計塔を守る人間たちは、フィーネの姿を見ると口々に「聖女様の再来だ」と驚いた。
 一方、これまで『大人たち』の意思に従って生きてきたラズは、『竜の平和』が人間やフィーネの犠牲で成り立つことを改めて思い知る。いや、本当は最初から知っていたはずで、ただ事実から目を背けていただけだった。禁忌の混血——クローカとして生まれたにも関わらず、自分を庇ってくれた長老竜の元で育てられたラズが平穏に生きるには、ひたすら従順になるしかなかった。
 危険を冒してでも時を渡り、過去の因果により遙か未来にいるという混血の少女フィーネを連れ帰ったのも、全ては長の命令に過ぎない。けれど、戻ってすぐに竜の国を回ったのは誰のためだったのか。そう自覚すると、これまで止まっていた自分の時計が少しずつ動き出したように思えた。


 ラズは人間たちの前で処刑されようとしているフィーネを助けに行った。竜の長の怒りを買いながらもラズはフィーネをかっ攫い、もう一度フィーネがいた現代へと刻渡りする。




 しかし、戻った現代は変わり果てていた。大地は荒廃し、フィーネの家も両親も存在せず「元々なかったこと」になっていた。
 何かが——恐らく自分たちの過去での行動が、歴史を歪めてしまったと考えるのが自然だった。でも、それによりほとんどの人間が滅びてしまった世界だとするなら、フィーネ自身も消えていなければおかしいはず。フィーネは自分が存在している理由、そして出自を改めて疑問に思い始める。自分が竜の長に「魔女」と呼ばれたわけも含めて。


 その夜、フィーネはまた夢を見た。
 人々から聖女と呼ばれたサンドラは、辿り着いた時計塔で抜け落ちていた記憶を取り戻す。母は自分の双子の片割れと思われる存在を遙か未来へと送り、自分だけをこの時代に置き去りにした。母に愛されていた片割れは、サンドラから幸せを全て奪い去っていった。憎しみに染まったサンドラは、時計塔の秘密を護っていた守護竜を殺す。これをきっかけに、地上の竜は勢力を弱めていった。


 現代の時計塔の中で、フィーネとラズは古い文献を漁っていた。壁画は『刻の神が与えた時計を護る聖竜がいた』という内容に変わっており、改めて歴史が変わっていることを理解する二人。更に壁には『魔女が現れて竜族を殺し、竜と人との争いが始まった。復活した魔女は処刑され、人は絶望したまま滅びに向かった』と刻まれている。


 フィーネは竜の姿のラズに助けられて刻渡りをしたが、あの場にいた人間たちからすれば、聖女が悪竜の手に落ちて消されたように見えたのかもしれないと思い当たる。
 更に歴史を漁ると、ラズの時代より更に古代である創世の時代の文献には『竜は時計を護り、人は竜に祈り、互いを尊重して共存していた』と記されていた。
「人と竜が分かり合って生きた過去があるなら、きっと未来も存在するはずだよ」と言うフィーネに、ラズは「綺麗事だ」と否定的だった。  相変わらず楽観的なフィーネに、ラズは観念したように自分が知っている秘密を語る。竜と人の混血『クローカ』だけが『刻渡り』をすることができること。『時計』が存在しない未来や、自分が生まれた日より過去に渡ることは不可能なこと。そして、フィーネの出自についても触れようとすると、フィーネが先に尋ねた。
「わたし、ラズたちの時代からトキワタリしてきた混血だったりする?」  フィーネは、サンドラという名の混血の少女が竜を殺した悪夢を見たことを話す。何度も見るうちにサンドラの感情がどんどん流れ込んできて、まるで自分が彼女になったようで恐ろしいと。
 事情を聞いたラズは「君は、僕よりももっと昔から刻渡りしたクローカらしい」と答えた。サンドラとフィーネの関係は謎のままだが、彼らはフィーネの力を使い『魔女サンドラの時代』への刻渡りを決行する。





 フィーネとラズが時を渡った先に、サンドラがいた。
 フィーネが夢で何度も見た少女。悲劇的な境遇から聖女と呼ばれる存在に成り上がった乙女。その顔はフィーネに生き写しだった。彼女こそ竜と人に溝を作った原因の『魔女』であり『聖女』だと認識したラズは、フィーネを背に庇いながらその歴史を変えるために闘いを挑む。
「何故同じ混血(クローカ)が混血(わたし)を止めようとする?」
 サンドラは、意味も分からず襲いかかってくるラズに応戦しながら、自分と瓜二つのフィーネを見つけ、彼女が自身の片割れだと察する。
 積年の恨みは片割れでありながら苦しみを知らずに育ったフィーネという存在に向けられた。サンドラは隙を突き、ラズを振り切ってフィーネに襲いかかる。そしてサンドラがフィーネに触れた瞬間、時空の歪みが発生した。
 それは時計塔に残る記憶だった。


 竜たちに追われていた竜の母は命からがら時計塔に辿り着き、泣く我が子を歌であやしながら中へと進んだ。時計塔は世界の時を正しく刻むための礎。正しく時が流れなかった時のために、神は時計そのものに『刻の魔法陣』すなわち時に干渉する力を与えていた。その力は、竜と人が同時に願った時のみ起動するという秘められたもの。竜か人どちらかだけの意思では発動しないよう、神によって仕組まれていた。
 しかし、想定外の存在である混血(クローカ)が生まれてしまう。竜と人、ふたつの種族の血を持つ混血は、たったひとりでも魔法陣を起動させることができてしまった。
 竜の母は起動した魔法陣に子を捧げて祈る。「我が子にどこか遠くで無事に生きて延びてほしい」という想いと、「生き延びて我が子が苦しむくらいなら、いっそここで死んでほしい」という想い。どちらも真実で、どちらもただ子の幸せを願ってのことだった。
 しかし、願いが二つに分かれたことで時の魔法陣の力は狂う。未来に渡り消えたはずのサンドラは、その時代にも同時に存在し続けてしまった。サンドラとフィーネは同じ存在でありながら、同じ時間軸の過去と未来に二重に存在してしまったのだった。
 同一の記憶としてそれらを見たサンドラとフィーネは、全てを理解する。フィーネが見ていた夢はサンドラの記憶であり、サンドラが見ていた夢もまたフィーネの記憶。サンドラの全ての負の感情はフィーネのもので、フィーネが感じた全ての感情はサンドラのもので、サンドラ自身も両親に愛されていたことを知る。
 サンドラが自分を殺したのちの鎮魂歌だと思っていた母の歌は、フィーネにとっては懐かしく心地よい子守歌だった。フィーネはもう一人の自分であるサンドラの想いや苦しみや怒りを受け止め、サンドラもフィーネの想いを知る。自分たちが同じ存在であることを受け入れると、時の歪みは解消されてフィーネとサンドラは一人になる。
 それは傍らのラズにとっては刹那の出来事で、サンドラの闇がフィーネの光によって浄化されたかのように見えていた。




 ラズの時代。過去に存在したはずの魔女サンドラの存在が消えたことで、人と竜の大きな戦争は起こっておらず、互いに一線を越えないまま共存していた。ラズは身の振り方を迷うフィーネに、未来へ帰るよう背中を押す。未来でもこのまま竜と人が争わない世界が続いているか見に行ってほしいと。


 最後の刻渡りで元の時代に戻ったフィーネは、養父の待つ家へ帰る。ほとんどが元通りだったが、竜の存在は以前よりも身近になっていた。ただ、遺跡である時計塔は遙か昔に守護竜によって封印されており、誰も近付くことはできなくなっている。
 フィーネは何よりもラズと過ごした時間を忘れていくことが怖かった。刻渡りをしたことも、ラズが訪れたという証拠はひとつもなく、もしかして全て夢だったのではないかとすら思う。ひとりで未来に戻って来てしまったことを後悔しながら、ラズの痕跡を探していた。


 そんなある時。『刻の神が与えた時計を護り石化した聖竜を祀る』という歴史画を見たフィーネは、初めて出逢った時の、ラズのあまりにも単純なロジックを思い出す。

(——扉が開かなければ誰も潰されない)

 時計塔に巻き付いている石の竜の傍らに、消えかけた文字で『ラズウェルズ・オクティア・ローディ・クローカ』と刻まれていることに、フィーネは気付く。
 誰もこの時計に触れないように扉を封印して護り続けていたのは——。
「……相変わらずだね、ラズ」
 時計塔を見上げて呟いたフィーネの顔には、笑顔が戻っていた。